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かくて網を掻い潜り、首尾よく鉄道車両に乗り込むと、前田の容態はさらに目に見えて悪化した。大阪を脱出するという最大の関門を抜けて、少し気が緩んでしまったのかもしれない。
大阪軍に加担し負傷した傭兵の男に対し、自らも焼け出されて大阪を逃れる途上の難民たちはごく親切であった。床に寝かせるだけの場所を空け、毛布も敷いてくれたし、脚も縛り直してくれた、水も分けてくれた。
それでも、山崎は不安でたまらなかった。生まれてはじめて大阪を離れ…、遠く広島まではたっぷり半日かかる。
しかも、それで終わりではないのだ。今は既に意識を失い激痛にうなされる前田の、先に搾り出した必死の言葉によれば、さらに鉄道を乗り継いで山奥、「三次というところまで着いたら、近くにおる誰でもええ、誰か捕まえて、前田智徳が帰った、と言うんじゃ」――。
山崎は半信半疑であった。辿り着いたら、ただその名を名乗ればいいなど。故郷ではそんなに有名なのか。そもそも…、それまで息があるか。
見知らぬ人々の厚意によって、今ここでできるだけの処置をしてもらったばかりのはずの右脚は次第に悪臭を放ちはじめ、褐色のような黄緑色のような、あるいはそれらを掻き混ぜたような不気味な色の液体を滲出させ始めている。
無学無知の山崎にも、傷が腐ってきているのだということが察せられた。しかし察したところで何ができる訳でもない。せめて額に浮いた脂汗を、汚れた手拭でふき取ってやる位のことしかできない。
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