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――神戸軍による一か八かの空襲の効果は覿面だった。各方面部隊からパイロットをかき集め、一説には空軍戦力の6割以上を投入したとも言われるこの作戦によって、この戦いの終わりがもたらされたと言って差し支えない。
しかし指導者をほとんど失い、政治、経済、さらには行政の中枢機能を悉く破壊された大阪は混乱を極めた。かねてから不足がちだった物資はあっという間に底を尽き、大勢が家を失い、行き場のない人々が街にあふれた。
見る間に治安が悪化し、生きているものは死と隣り合わせに、そして死んだものは手が回らず、長くそのままにされた。悪いことに時節は夏の盛りだ。
当然のことながら衛生状態が懸念され、近隣の都市からは救援の手が差し伸べられたが、それを受け入れる体制すら満足に整えられない有様だった。
その様子を、6年前の秋のこと…、化け物台風に襲われ丸ごと濁流に押し流された広島の街と重ね合わせた者も多かっただろう。
軍刀を杖にし右足を引き摺り、荒れ果てた街のなか道なき道を急ぐこの男、前田智徳もまたそのうちの一人だった。
広島自衛隊の一員として被災した街を駆けずりまわった当時のことが、否応もなく脳裏に蘇る。
変わり果てた景色、数日を経ても放置されたままの遺体、泣き暮れる人々。あのときと同じ。
ひとつ、違うことは…、ここは故郷ではないということだ。傭兵として請われわざわざ戦地に赴いてきて、つまり好き好んで地獄を見ている。業の深いことだ。報いを受けるのも致し方ないとも言えるだろうか…、
「…いけん。こげぇな事では、とても生きて帰りつかんわ」
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