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今朝早く、岸は大沼に呼び出され、この任務を言い渡された。なんでも、今日は大沼に客があり、その客人を迎えに行けとのことだ。解放戦線のアジトは所沢の少し郊外にあるから、迎えの必要性自体はわかるが…、これまた幹部を二人も動かす理由の見えてこない命令だ。
特に帆足の人選がわからない。岸の目からちょっと見ても、客人を迎えるには最も不適に思える。しかも、今は怪我人だ。
その際、大沼は、帆者がお前を気に入ったようだから一緒に行け、などと言っていたが…、今の捨て台詞とは食い違っている。
果たしてどちらが嘘をついているのか、これだけでは、岸には知る由もなかったことだろう、しかし、岸にはピンときた。
なぜなら朝に会見したとき、大沼の口の端が切れていたのを見ていたからだ。そしてやはり、その傷の周辺にはアザがあった。
その時なぜ、何があったと思わなかったのか。今となっては岸自身にもわからない。あるいは早朝のため注意が少し散漫だったか…、
ともかくその傷に加え、帆足の青アザ。…嘘をついているのは大沼だ。おそらくは昨夜口論になり、喧嘩になった末、命令という形で彼を動かしたのだろう、という想像がついた。
しかし岸はそれでも、自分の観察力、および洞察力の不足を感じた。そもそも、大沼が口を切っている時点で、帆足が犯人だと感づくべきなのだ。なにしろ、大沼を殴るなんて狼藉を働けるのは、この所沢に彼しかいない。そして逆もしかりだ。
だが、しかし…、そんな、もうすぐ三十過ぎようっていい歳こいた大人が二人して、まさか殴りあいのケンカなんて…、そんな常識が邪魔をしたのだ、
そこまで岸の考えが巡った、そのときだった。
「…貴様は俺の顔見て何も言わねぇのな」
まっすぐ前を向いたまま、帆足がボソリとつぶやいた。
「えっ、いや…、」
まさにそのことを考えていた最中、突然そんなことを言われたので、岸は咄嗟の言葉に詰まった。
カチカチというウインカーの音が沈黙の隙間を埋めていくのに合わせ、口に出せない思考が岸の頭のなかをぐるぐると巡っていく。
なんだ、その言い草は…、まさか聞いてほしいのか。昨日、脚の怪我を気遣ったときには、襲い掛からんばかりの剣幕だったくせに。
「その…、聞いてはいけないことかと思ったので」
「別に」
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