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何やら複雑そうな家庭の事情が垣間見えたところで…、少し遅れて、助手席からも一人、小柄な男が降りてきた。その男と目が合うなり、永川はあごひげをさすり、少し渋い表情をした。
「何でお前も来てんだよ」
「何でもいいだろ。ナーに用事あって来たわけじゃないし」
にわかに険悪な空気が漂う。そこへ焦ったように貴哉が割り込む。
「ま、まあまあ。病院に行きたいって事だったから、ついでに乗っていきなよって俺が誘ったんだ」
「…病院に何の用なんだよ」
「だから、なんでそれをお前に言わないとならないわけ。そっちこそ何の用」
「俺らはスラィリー用の予防注射に行くんだよ。何か文句あんのか」
「はあ?別に。文句あるなんて一言も言ってないし」
貴哉の配慮もむなしく、突き刺さるような会話の応酬が続く。しかし事情のわからない森野には、当然のことながら、一体何が起こっているのか全くわからない。
「…ほら、遅れてきといてなんだけど、余計遅くなるからさ。早く乗りなよ」
再び貴哉が口を開いた。すると永川はフンと鼻を鳴らし、助手席から降りてきた男を見下ろしていた視線を外して、後部座席のドアを引き、車内へ乗り込もうとした…、しかし。
「う」
突然、永川が動きを止めた。そしてズリ落ちるようにして地面へ降りると、口元を抑えて森野に耳打ちした。
「ダメだ。吐いてくる…」
永川は駆け足で走り去った。乗用車の芳香剤のあの独特の匂いにやられたらしい。何が起こったのかわからないでキョトンとしている貴哉に、森野は事情を説明する。
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