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「自分の噂をしていることは…、分かっているのでしょうかね」
「おそらく分かっていないでしょう。近頃はもう、この寺へ来る前のことは思い出せないようです。
そのかわり今では、人を嫌うことも、暴れることもなくなりましたし、身の回りのことは大体自分でできるようになりました。そういった意味ではね、スラィリーの巣穴から生まれてきたという表現も、あながち間違いではないかもしれません。
時折悪戯をするのは困りますが…、普段は大人しいものです、あれで可愛いところもありますしね。
ただ、お参りにいらっしゃる檀家さんには、やはりご不便をおかけしているとは思いますけどね…」
倉は言葉を濁したが、ご不便というのはつまり、足が向きにくいということだろう。無理もない、と森野は思った。
改めて見れば、頬はこけ、目だけがギョロリと輝いていて、髪は荒れ放題、その長く伸びた髪を纏めるためなのか何なのか、頭には紐が巻かれている。
ほつれた浴衣のはだけた胸元には浮いた肋骨がはっきりと見え、腕も脚も、ちょっとしたことで折れてしまいそうに細い。
そして、先刻よく見えなかった長い羽織は…、振袖だ。わざわざ選んで着せているとも思えないから、本人が気に入っているのだろうか、これも、かなり傷んでいる。
総じて一言で表すならば、やはり、見た目からして気持ちが悪い。
しかし、それらの要素を廃して見れば…、先の話にもあった通り、おそらく、まともなら端正と思しき顔立ちである。
「差し出がましいようですが、もう少し装いを整えてやれば、少しは印象が違うのでは」
「いえ、あれでいいのです。髪を切ろうとすると嫌がりますし…、何も好きにしてやれませんからね、せめて着るものくらいは」
「まあ、あれだ、兄貴。あいつの話はそれくらいでいいだろ」
これまでほぼ沈黙を守っていた永川が、顔を上げず、太い指でミカンのスジを一本一本ちまちまとつまみながら、苛々した調子で割り込んだ。
その声色、そして表情からは…、倉とは違ってマサユキに対し一遍の愛情もないことが、部外者の目にもありありとわかる。森野は戸惑った。
自分で話を振ったうえ、俺には関係ないと言っておきながら、今になって何がそんなに気に入らないのか、このとき森野には理解できなかったのだ。
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