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「そろそろ本題に入らせてもらう、土蔵の鍵を貸してくれ」
必要以上に綺麗になったミカンを丸ごと口へ放り込み、ガタンと音を立てて立ち上がると、永川は頭上から倉を見下ろし、左手を出してそう言った。
途端に、倉はさっと表情を険しくする。
「…何に使うんだ」
「とぼけんなよ。いつその時が来てもいいように、覚悟決めとけつったのはあんただろ。今がその時だ」
「……」
「ほら、早く」
「…そうか、その時か…、」
「そうだ」
倉はゆっくりと立ち上がり、脇にあった戸棚を開け、そこから小さな箱を取り出すと、それを永川に渡しながら言った。
「…やるのか、英心を」
…搾り出すような倉のその言葉に、森野はハッとした。世間を度々震撼させるスラィリーマスターは討つべきものに違いなく、また自分には賞金が是非とも必要だが…、しかし、この人にとっては…。
「そうなるかもしれない。ならないかもしれない。あっちの出方次第だな」
そう言われて何も言い返せず、倉は視線を落とした。その表情を見て、森野は慌てて口を挟む。
「おい、永川、」
「黙ってろ」
今ここできっと大丈夫などと口約束はできない、永川の言っていることは間違っていないが…、しかし言葉が冷徹すぎる。そう思ってはみたものの、一撃ぴしゃりと撥ねつけられ…、森野も結局黙ってしまった、そうするより他になかった。
この場において、森野はどうしようもなくよそ者なのだ。二十年をかけてここに蓄積されてきたものを森野は知らない。語るべき言葉がない。
しかし…、仮にそれがあったところで、一体何を語れるだろうか。精一杯に言葉を捜しながらじっと永川を見上げる倉の痛々しい横顔を見て、
なおかつ自分がその立場に立ったとき、この永川に正面から対峙できる自信など、森野には持ち得なかった。
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