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繰り返しになるが二岡は文京軍に思い入れがない。そんなものはとうに失ってしまった。ただ月に20万弱の給料だけが、辛うじて彼を軍に留まらしめているにすぎない。
しかるに…、ここで大金を手にすれば、これから先の長きにわたって浪費されるはずだった労働時間をあらかじめ買い戻すことができる。いちど踏み外してしまったこの人生を、どこか別な場所で立て直すことも夢ではないのだ。
野心をもつなど何年ぶりだろう。見放された存在で居続けることに慣れたはずの心に、にわかに灯がともるのを二岡は感じた。
――そして今、コンピュータールームを離れる亀井の背を見送って…、二岡はドアに一歩二歩と近づいた。中には清水がひとりでいるはずだ。
鉄のドアは厚いが、常人離れした二岡の耳には、無数のファンの回る音、キーボードを打つ音がはっきりと聞こえる。それに混じり、かすかに聞こえてくるのは…、携帯電話を操作する音。キーを連打しているところから推察するに、どこかへメールを打っているのか…。
それが断続的に聞こえてくるということはすなわち、頻繁にやりとりをしていることが伺える。事前の調べでは家族構成は本人と妻で二人ということだったから、単にその妻かもしれない。しかし勤務中のしかも忙しいときに、長文を何度も交わすものだろうか。二岡はそんなことはしなかった。忙しいとか用事がないとかでなく普段からコミュニケーションを取っておくことが家族の絆をうんちゃらかんちゃら。いや、今更それを深く考えたところで失われた時間はもう戻ってこない。
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