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しかし、確かに目の当たりにした今ならわかる。仲間に対する粗暴はともかく、前日見たような残酷な仕打ちも、解放戦線の血路を開くには時に必要なことだったのだ。
このあたりの理解について、岸と小野寺との違いは明確だった。小野寺は所沢の名家の出身だ。解放戦線に入ってまもなく幹部昇格し、そののち旧政府の残留勢力との局地的な戦闘などに出た経験は皆無ではないが…、
戦争の本当の悲惨さを、人の目線の高さで、もっと言えば、地べたに這いつくばってまでは見ていない。それならば、殺さないで済むなら殺すべきでないと主張するのも当然だろう。
対して、岸は、一兵卒からのたたき上げだ。味方の安全を確保する手段が他になければ…、そこにある命を絶たねばならないことも、過去には数知れずあった。もちろん…、みずから人を手にかけたこともある、そして、その数も知れない。一振りで首を吹っ飛ばしたり人を生焼きにしたりしたことは流石に一度もなかったが、手段はこのさい重要でない。

昨夜も、もしかしたら、知力にすぐれた者がひらめきと智恵をもってすれば、殺さない方法はあったのかもしれない。しかし大沼総帥はそういった知恵者ではなく、あの危急の任に迷わず帆足を選んだのだ。
岸と小野寺というおまけが付いたきたことはともかく…、前夜岸が考えたとおり、「帆足を向かわせるということは、すなわち乱暴な手段をとる可能性がある」ということがまず前提だ。それを知らないでは当然済まされないし、また大沼はそれを見ないふりで済ますようなリーダーではない。すべて掌握したうえでの指令だったのだ。


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