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その迅速な撤収の様子を…、スラィリーマスター、梵は黙って観察していた。それは森の中からは当然見えないが、彼にはこの山を巡る気が読み取れる。
さあ…と風に砂が流されるように、人が退いていくのがわかる。
「……ヨモギ、落ち着け」
彼は努めて優しい声を出し、すぐ目の前、手の届くところにある頭を撫でた。
「お前は悪くない…」
ヨモギは小さく、ピルルル、と鳴いた。ダラリと無気力に垂れた腕の先、鋭い鉤爪から血が滴っている。人間を殴り、無防備な腹を切り裂いた、その返り血が。
梵はいつものように…、崖の上からアレックス隊の作業現場への接近を試みた。幹英が梵に殺意のないことに気づいたのと同様、
梵もまた、広島自衛隊に自分と戦うつもりがないことには、比較的早くから気づいていた。
しかし、あくまで確証はない。彼はいつも慎重に…、高いところから彼らに近づき、そして安全が確かめられてから威嚇を行ってきた。
そう、目的は威嚇だ。積極的に攻撃を仕掛けてこないのならば、こちらも戦う意思はないのだ。少なくとも、梵本人は…、自分やスラィリーの命を取ろうとするものでなければ、無駄な殺生はしたくない。
それに、相手の性質も考慮したほうがいい。何度威嚇をしても、彼らは懲りずに何度も何度もやってくる。しかし、それならこちらも、何度も何度も追い払えばいいことだ。
何度でもやってくるということは、彼らにも確固たる目的があるということ。多少の殺戮をしたところで、それが曲がるとは思えない。
スラィリーの長老にはわからないことかもしれない、しかし梵は人間だから知っている。軍隊とはそういうものだということを。
だから梵は、今度も、威嚇して追い払えば充分だと思っていたのだ…、
しかし、彼をその肩に乗せたヨモギの考えは違っていた。いや、考えが違うというよりも、認識が違ったと表現したほうが、より正確かもしれない。
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