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かつて所沢では圧政によって減少した労働者人口を補うため全国から積極的に移民を募っており…、彼もその移民の子として所沢に生まれた。移民と言っても、両親がはたしてどこの出身だったのかについて彼は知らない。
わずかに彼の記憶していることと言えば、ただ、貧民街のぼろアパートの最上階の狭い部屋に、父と母と、あと上と下の兄弟姉妹が何人かいたということだけ。
その事実のほかには一切の暖かい思い出もなく…、彼が両親に貰ったものは、その体をおいて他にない。
何しろ帆足和幸というその名さえ、後になって首を突っ込んだマフィアで付けられたものだ。それも、現在までに出入りした組織はひとつふたつでないから、いつ、どこでの出来事だったか、はっきりした記憶はない。

父は肉体労働に従事し、体格がよく稼ぎも良かった。彼の恵まれた肉体はおそらく父譲りだ。しかしその父は元々酒癖が悪く、酒を飲んでは妻に暴力を振るった。
母はその暴力に耐えながらもよく働いたが、そのうち時折家を空けるようになり…、ある朝、いつもと同じように働きに出たまま帰らなかった。
そうなると父は残された子供たちに当たるようになった。その中でも、一番の標的になったのが彼だった。
吊り目が気に入らないと言われ、事あるごとに殴られた。彼は母の顔を覚えていないが、後になって思えば、あるいは母に似ていたせいだったのかもしれない。とかく、彼はいつも青あざだらけだった。

その彼が、その夜もまた父に殴られ、よろめいて戸棚にぶつかった。その衝撃で、父の大事にしていた安酒の瓶が床へ落下してしまった。
瓶は粉々に砕け散った。烈火の如く父は怒り、拳を振り上げて彼を追い回した。すぐに彼は窓際に追い詰められた、そして、幼心に悟った。父の酒瓶を壊した自分は、もう生きていけないのだ、と。
時節は夏だった。開けっ放しになっていた窓から、まるで涙の一滴がこぼれ落ちるように彼は飛び降りた…、

帆足が空を飛んだのは、この時が初めてだった。

狭い路地を二本向こうの広場へ転がるように着地すると、彼は擦り剥いた膝をかばうこともなく、夜の闇の中へと走り出した、そして二度と生家へは戻らなかった。
父と、残された兄弟たちがその後どうなったのかは知る由もない。


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