334
倉は己の眼前に立ち尽くす命の不憫を思い、胸が張り裂けそうになった。
この弱い自分に代わって、マサユキは涙を流しているのだ。
突如目の前に投げ出された暴力的な感情のうねりを、天から気紛れに与えられた余分の力によって目の当たりにし、
その波打つ悲しみに共鳴し、為す術もなく引きずられ、ついには飲み込まれ、自分に何が起こったのかもわからないまま…、
ただ、呆然と涙を流しているのだ!
「オレ、も…、」
「マサユキ…!」
その続きを…、『悲しい』などという言葉を言わせてはならない。倉は咄嗟に腕を伸ばし、マサユキの頭を胸に抱え込んだ、その結果…、
さらなる己の弱さを悔いることになった。
その悔恨とは何だろう。とめどなく流される涙と、その涙を流す狂気の瞳をあわれに思った慈愛の心が、自然と身体を突き動かしたのではなかったのか。無論、それも多分にあるだろう。
しかしそれだけが理由ではなかった。そのことは自身がよく知っている。
…自分が流させた涙と知りながら、正視し続けることができなかった。とにかく視野から外してしまいたくて、思わず、そうしてしまったのだ。
その臆病かつ卑怯な本能を倉は呪った。しかし、それを知った上でなおかつ、マサユキをその腕から離すわけにはいかなかった。
間違っても、この懺悔、そして呪詛までをもこの腕の中の瞳に伝えてはならない。そんなことをすれば、ここまで時間をかけて、ようやく積み上げてきた大切なものを…、押し潰してしまうことになるような気がした。
しかし相手はマサユキだ。あの目からすべてを隠し通す自信はとてもない。
顔を見られるのが、怖かった。
[NEXT]
[TOP]
[BACK]