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「いえ、正確に申しますとね、これでいいのだろうか、と」

今更何を言っているのだろう、と森野は思った。
そんな悩みは、彼と生活してきたそれなりに長い時間の中で、すでに清算されているはずではないのか、その上で、現在の形に落ち着いているのではないのだろうか。
当然、理想どおりにはいかない、しかし、悩んでも仕方のないことではないか…、

「本人が満足そうなら、それで…、」
「勿論、そういう考え方もできます。実際その点に関しては、そう考えていれば、充分なのでしょう。しかしね、こうも思うのですよ、
 何を思って広島へ来たのか、それまでどんな暮らしをしていたのか、」

並べられた言葉は、森野が予想していたよりも、随分と感傷的だった。先に倉が自分で言っていたように、それらを知る術はない。

「帰りを待つ親兄弟は、愛した人はいないのか、とね」

仮にそれを知ったところで、この、記憶を失い、痩せ細り、女装をして、子供のような口をきき、
挙句、倉にしか懐かない状態の彼を、その人々に突き合わすのか…、否、その考えすらも感傷的すぎる。そんな事態は起こりようがない。想定してみる意味もない。

「…誰かいるのなら、行き先くらい告げて来ると思います。広島ということさえ分かっていれば、探しに来てもよいと思いますし、
 そうなれば、遠からずここに訪ね当たることでしょう。しかるに、来ないということは、縁者はないのだと」
「お優しいかただ」

森野の熱弁はそれなりに救いとなったらしく、倉は柔和な笑顔を見せた。その顔を見ながら森野は、ふと、自分が行き先を誰にも告げずに名古屋を出てきたことを思い出し…、内心、バツの悪い気分になった。
もしも自分がこういう状態になったら…、やはり、名古屋には帰れないのだろうか。
肋骨が浮き蛇腹のようになった胸郭が呼吸に従って規則的に上下するのが、見るともなしに視界に入る。
その、ほとんど骸骨と言っていい造形は、生きていることのすぐ向こうに隣り合わせているものを、改めて森野に連想させた。


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