272
「…それにしても…、」
薄く儚げなその身に宿る、極端に言えばただ着物が一枚広がっているのと大差のない、きわめて淡い存在感が、ただ一発平手打ちされたという事実以上に痛ましさを殊更に引き立て、森野の胸を鈍く抉った。
倉がこうして目をかけ、手をかけていることで、マサユキは危ういバランスを保ち、辛うじて現世の崖に引っかかっている。
しかるに…、そのバランスを永川が、一時的にとはいえ力で崩してしまったことに、森野は衝撃を受けたのだ。理知的で分別もあるように見えた、師に対してあれだけ礼儀正しかった永川が…。
「なぜ、ここまでする必要が」
「先程、この子が申しましたでしょう。お前は誰か殺すつもりだ、とね」
「…ああ、はい」
「あれを言わせないために、こうしたのだと思います。結局言ってしまったのですが」
「というと…、ただ、口を塞ぐためだけに?」
[NEXT]
[TOP]
[BACK]