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玄関を上がって左手へ、板張りの暗い廊下を少し進むと、その奥、右手の襖が開き、廊下へ急に光が差した。中から僧がひとり姿を現し、歩み寄ってきて永川に声をかける。
「勝浩。こんな時間に、どうした」
これが住職だろうか、と森野はまず考えたが、すぐに自らその考えを否定した。僧は、見たところまだ年若い。恐らくは三十歳そこそこだろう。
さして短くもなく刈られた硬そうな髪が天衝くように勢いよく伸びているのが僧にしては特徴的だが、
しかし今時、剃髪していない僧侶もさほど珍しくはなく…、そして他に特に変わったところはない。
「遅くに、悪い。客人を連れてきた。明日にしようかと思ったんだが、事情があって、急ぐんでね。
詳しいところは後で話すが、こちら森野といって、名古屋から来たんだ。
それで、こっちはこの寺の住職で…、あの英心の兄貴だよ。俺もここで育ったから、まあ、俺の兄貴みたいなもんでもある」
「どうも、お初にお目にかかります。倉義和と申します」
「は、ご住職でいらっしゃいましたか…、森野、将彦、です、どうも…」
急に話が見えなくなり、森野は細切れな返事をした。
兄とは一体どういうことだ。梵英心の後に寺に子供が産まれなかったから、永川が巻き込まれた、そういう話ではなかったのか…、
しかし、上の子がすでにいたのなら、それで頭数は足りるのではないのか、それとも、後から入った養子か何かか?
「マスターに、兄弟がいたのか」
「ああ、ご不審に思われましたか、無理もない」
森野が戸惑いつつ永川に尋ねると、それに倉が笑顔で答えた。
「梵とは…、この寺と秘術を継ぐべく厳しい修業に耐え、術を体得した者だけに許される姓でしてね。父と弟は梵姓ですが…、
私は幼少時には随分身体が弱かったものですから。継承者として不適、それ以前に修練に耐えられないと父が判断したため、術の修業をしていません。
従って私は梵を名乗ることができませんで、その場合、寺の名の二文字目を取って、倉と称するのが決まりです」
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