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第四次紛争の停戦合意で、聖都神宮の介入により『多摩川を国境、両岸は緩衝地域』と決められてから、この時点ですでに3年。その間、戦闘行為は一切行われていなかった。実戦の緊張感など味わったこともなく、勿論、自然に生じるはずもない。
そして、これはなにも岸本に限ったことではなかった。横浜では、仕官候補でない新兵はまず大半が陸軍へ回される。よって、ここに集っているのは、軍務経験が浅く、しかもそのほとんどをこの退屈な国境警備で過ごしてきた若者たちばかり。
外敵から国境線を守っているという意識など、彼らのうちの、ほとんど誰も持っていなかったことだろう。そして当時の世論もそれを助長した、文京軍の当面の敵はその身中の虫、
所沢のクーデター成功に勢いづく反政府勢力の駆逐こそが急務であり、それが済めば次は所沢へ圧力をかけるのが先決であって、隣接する都市を攻撃することは当分ないと言われていたのだ。
ここで言う隣接する都市とは、暗に横浜のことを指している。本来、文京はさほど好戦的な性格の都市勢力ではなく、直接的な軍事行動が行われたことは、この時から過去2、30年間でも数えるほどしかなかった。
それも、旧所沢政府が緊急事態宣言を出した時のただ一度を除けば、横浜側から仕掛けられた国境紛争以外に軍を出したことは近年ない。これらを総合して考えれば、むしろ、直近に戦闘が起こると考えるほうが不自然だ。
加えて、このときの国境警備隊の指揮官は、陸戦の経験を一切持たない佐伯だった。
…突然の奇襲に対し、咄嗟に応戦できる所以もなかったのだ。


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